glazed frost

FTのグレジュビ、OPのサンナミをこよなく愛するブログ。

嘘つきな男【後編】

蒼操。

明治パロ、後編です。





〜嘘つきな男【後編】


「四乃森さん、麗しの姫君はまだですか?」

披露会の席で。

気付けば、数名の若者達が、自分の周りにやってきていた。
いつの間にか、自分の感情の螺旋にはまり込んでいたらしい。

「もう、随分とお待ちしているのに、まだご尊顔を拝見していませんよ?」
「出し惜しみなさるとは、余程の愛着ぶりでいらっしゃる。」

自分を取り囲んでいたのは、義母の従兄弟である子爵の子息で、周りにはその取り巻きが集っているようだった。
間違いなく、味方ではない人種だ。

「申し訳ない。
少し具合がよくないようで、支度に手間取っているようです。」

一応、礼儀だけは整えるように、そう返した。

「具合がよくないとは。
ご心配ですね。」
「少々、夜毎のご無理がすぎるのでは?
話が決まって、早々に屋敷に引き取られたと伺っていますよ。
余程の、お慈しみぶりでおられるのでしょうね。」

下卑た笑みで、周りの取り巻き連中の一人がそう言った。
すると、周りの何人かもそれに追従してニヤケた顔をゆがめる。

「………。」

「それは、そうでしょう。
何と言っても、一気にあれだけの借財を肩代わりして、手に入れられた方ですからね。
そのご執心ぶりも知れようというものです。」

続いて吐き出された言葉に、また数人から嘲笑するかのような笑いが起こった。

大きくひとつ、溜息をついて、くるりとその場に背を向ける。

付き合っておれん。

こんな奴らに好奇な目で見られるのかと思うと、こんな場に操を連れてきたくはないと、心底思った。
できれば、真綿にくるむように、大事に大事に、屋敷の奥に閉じ込めて、何にも晒さず守ってやりたいと思う。

だが、ほんの一瞬でもよいから、今日は顔を出してもらわねばならなかった。

この結婚に、難癖をつけてくるものが後を絶たないからだ。

俺が、操との突然の結婚を決めるやいなや、義母の親戚筋からは、喧々囂々たる文句が吹き出てきた。
これまで、俺の事など蔑む目でしか見てこなかった奴等だが、ことこれが『四乃森家の当主』の結婚となると話は違うらしい。

父が死ぬ間際に、俺にすべての家督を譲ると言った時も、それはそれは大騒ぎだったが、そこは父が一喝の元に黙らせ、父の母方の大伯父である柏崎の翁の口添えもあり、葵屋のすべての家督は俺に譲られることとなった。
(柏崎の翁は祖母方の親戚の実力者で、操の親戚でもあった。操が成長してからは、俺と操とが会うのは、もっぱら翁の所で、そして、般若や増髪とも、そこで出会った。)
家督の事は、自分が居なくなった後の俺の立場を強くしておきたいとの、父の願いであるとすぐに理解した。
そして、父の愛したこの葵屋を、俺も大切に守りたいとも思った。
放蕩が過ぎる義弟には、とても任せられぬ、とも。

そうして俺が葵屋を引き継ぐことを、渋々了承した親戚の奴等は、今度は自分の息のかかった結婚を俺にさせようと躍起になっていた。
此処最近は特にそれがひどく、次々と色々な釣書を持って来ては、今ならまだ間に合う、考え直せ、などと、くだらぬことを口にする。
そればかりか、先日などはあろうことか、
『正妻はこちらで用意するから、そんなに欲しいなら巻町の娘は妾にすると良い。』とまで言い出した。

それに激昂した俺の機嫌をとるのに、般若がどれだけの苦労を強いられたのか、今思うと申し訳なくも思うが。

妾、などと、そんな、二度とそんな口がきけぬように一生俺の前から消えて頂いて結構、と吐き捨てるように切り捨てたら、その親戚は真っ青な顔をして這う様に退散していった。

親戚だけでなく、仕事上の様々な関係者からも、ここに来てどんどんと縁談の話が舞い込んでくる。

馬鹿げた話だ。

俺は、操以外はいらぬ。
操しか、欲しくはない。

誰にも文句は言わせない。
ここで、操の存在をはっきりと知らしめて、
他のどんな縁談がやってこようとも、俺は全く受ける気はないのだと、
二度とそんな馬鹿げた話など舞い込んでこないようにと、釘をさしたかった。


……なのに。

いよいよ、今日、という日になって、操が逃げ出した。

いや、そもそも、結婚が決まってから、操は笑わなくなった。
前のように、天真爛漫に『蒼紫様!』と呼んでくれることもない。

夕方、支度の途中で、操が突然居なくなったと連絡が来て。
焦って、必死に探し回っていた時の自分の感情は、とても口では言い表せない。
強いて言うなら、一番近い感情は、恐れ、かもしれない。

広い庭の、二人が初めて会った懐かしい場所に裸足でうずくまる操を、やっとの思いで見つけ出した後も。

操は、俺に抱き上げられて、…顔を真っ赤にして、俺の腕の中で暴れていた。

……そんなに、…俺と結婚するのが、嫌か?

腕の中の操に、そう訊いた時の声は、自分でも呆れる程に震えていた。

そんなに、……俺が、嫌か。

俺は、もうどうあっても、操を手放すことなど出来ないのにーー。









自分の部屋のベランダで、
白く輝く月を見つめて、一人で佇む。

『疲れちゃった。
ごめん、しばらく一人にして貰っていい?』

そう頼むと、お増さんは気がかりそうな顔をしながらも、
『お役目、大変でしたものね。』
そう言って、優しく笑ってそのお願いをきいてくれた。

疲れた、なんて、嘘。
実際、疲れるほど、広間に居させてさえも貰えなかったのだから。

綺麗に支度をしてもらって、
髪も、ドレスも、可愛らしく仕上げてもらって、
この姿を見たら、ひょっとしたら蒼紫様も、ちょっとは似合うと思ってくれるかもしれない、
なんて、僅かに抱いていた期待も、見事に打ち砕かれた。

蒼紫様は、ドレス姿の私を見て、大きく目を見開いて固まってしまったそのあとで、今度はすっと目を逸らして少しだけ困った表情を浮かべた。
蒼紫様は、あまり感情を顔に出さない人だけれど、そのほんの僅かな変化も、私にはなんとなくわかる。

あぁ、結局、こんなふうに着飾っても、蒼紫様にとってはそう大したことでもないんだ。
それどころか、今、蒼紫様は、なんだか、困ったような何かを我慢するような、そんな表情をした。
ちょっとは可愛いと思ってくれるかも…なんて。
そんな馬鹿みたいな期待は、そうして、一瞬で消えてなくなった。

広間の中でも、蒼紫様は殆ど私の方を見なかった。

最初に、皆さんの前で、何かを宣言するように『許嫁です』と紹介されて。
そこから、何人かの方々に、挨拶をしてまわった。
蒼紫様のお仕事の関係の方とか、四乃森家の恐らくお義母様筋の親戚の方とか。

そうして、数名の方への挨拶回りが済むと、蒼紫様は私を柏崎の爺やの処に連れていった。
爺やは、
『うひょひょひょ、めでたいのぅ。』
そう言って、満面の笑みで私達を迎えてくれて。
『こうなる日を指折り数えて待っておったんじゃ。
はよぅ、この老いぼれに孫の顔を見せんかい。』
いつもの“はいてんしょん”な素振りでグリグリと蒼紫様の腰に肘を当ててそう続けた。

そんな風に言われて、私の頬はもう、ポポッとほんのり紅くなってしまったけれど。

『翁、操を、頼む。』

蒼紫様は、それにも顔色を変えることなく、ボソッとそう言って。
そして、やっぱり、私の方はあまり見てはくれずに、すっと爺やの方へ私の背中を押して、自分はまた1人煌びやかな広間の喧騒の中へと戻っていった。

『やれやれ、相変わらず、素直でないのぅ。』

爺やが、ニヤニヤと笑ってそう言った、その意味が私にはよくわからなかったけれど。
戻った蒼紫様の隣には、何だか大人で凄く綺麗な女の人が居て。蒼紫様はその人に向かって、穏やかに会話をしていた。
それを見て、やっぱり私なんてただの子供でしかないんだなぁと、しゅんとしてしまう。

『……ねぇ、爺や。』
『なんじゃい?』
『………。』
『……どうしたんじゃ?…何か、悩み事か?』
『………。』
『…操?』
『……あのさ。
…私、このまま、蒼紫様と、結婚していいと思う…?』

ずっとずっと、不安に思っていたその気持ちを、
爺やに向けて訊いてみた。
爺やは、私のその問いを聞いて、一瞬驚いた様な顔をして。
それから、何かを見定めようとするかのように、じいっと私の顔を覗きこんだ。

『……っ、っていうか、うん。
結婚するしか、ないんだけどさ…!』

私はと言えば、爺やに覗き込まれて、なんとなく居心地が悪くなって、結局焦ってそんな言葉を続けるしかなかった。
何を言い出すのよ。私は。
爺やに、一体なんて言って欲しいの?

『……やれやれ。』

爺やは、少し呆れた様な、でも、何かを慈しむ様な、そんな複雑な顔をして、苦笑った。

『おまえに、そんな顔をさせとるようでは、蒼紫も、まだまだじゃのぅ。』
『…爺や。』
『じゃがのう、操。』

爺やはそこで、その優しい瞳をほんの僅かに歪めて。

『……あやつは、自分に嘘をつくことに、慣れてしまって、おるからの。』
『………。』
『……そうやって、ここで、生きてきたんじゃ。
……操も、わかっとるじゃろ?』

爺やの言いたい事は、よくわかった。

歳を重ねるにつれ、ここでの、この家での、蒼紫様の難しい立場は、私にも理解できるようになっていたから。
知りたくないと思うような事も、口さがない連中の噂話も、嫌でも少しは耳に入ってくるし。
何より、蒼紫様の周りを纏う空気を感じきれない程に、いつまでも子供ではいられなかった。

だから、思っていたの。
この、優しく誇り高い人を、少しでも照らす暖かな光でありたいと。
1人、気丈に闘う蒼紫様の、少しでも心の落ち着く場所になれたら、と。

『蒼紫が、どうして、こうやってワシに操を預けて行ったか、わかるかの?』

爺やにそう聞かれて、
じっと考えてから、私はフルフルと首を横に振った。
そんなの、…わかんない。
わかるのは、蒼紫様の横に並ぶと、こんな貧相な私じゃ、釣り合わないって事位だ。
先刻のあの綺麗な女の人が、また脳裏に浮かんで、ショボンと落ち込んでしまう。

『ふぉふぉふぉ。
こうなると、蒼紫にも、ちと同情するのぅ。』

爺やは、やれやれといった表情で、笑ってそう言った。

『操。』

『今まで、操の目に映ってきた蒼紫は、どんな男であった?』

『操の瞳に映る蒼紫が、本物の、蒼紫じゃろうて。
それを、もう一度、ちゃんと見つめてみると良い。』

爺やは、困惑する私に、優しく笑いながら、
そんな謎掛けの様な事を言った。

そのあとは、
爺やと楽しく話をしていたのも束の間に、
広間に連れて来られて小一時間も立たないうちに、また般若くんに連れられて自分の部屋に戻された。
あんなに、半ば強制的に披露会に出ろと言っていたくせに、出たら出たで、紹介さえ終わったらさっさと部屋に戻してしまう、その蒼紫様の気持ちも、結局はよくわからないままだった。

この、ドレスも、……似合ってなかったのかな。
蒼紫様が、選んでくれたドレス。

大きく肩から胸にかけて襟ぐりの開いたローブデコルテは、少しだけ大人っぽいデザインだったけど、
でも、自分では、結構いけてるかな、なんて。
ちょっとだけ、自分も大人の女性の仲間入りをしたみたいで、褒めて、くれるかな、なんて思っていたのに。

実際には広間には、そりゃ私なんかよりもずっとずっと大人の女の人が、いっぱいいたけどさ。

そんなことを考えて、シュンとしていたら。

突然、フワリと、何かが肩に掛けられた。

びっくりして振り向くと、そこには、少しだけ心配そうな顔で、私をじっと見つめる蒼紫様が立っていて。

ふわりと私の肩に掛けられたのは、蒼紫様の上衣だった。

「……そんな格好で、こんなところにいたら、
風邪をひく。」

「蒼紫様」

「……ここは、外からも丸見えで、よくない。
中に入れ。」

蒼紫様はそう言って、そっと私の背を押して、部屋の中へと導いた。
そして、バタンと後ろ手に、ベランダへの大窓を閉じる。

「蒼紫様、披露会は?」

「……おまえが退席した後、早々に切り上げた。
いつまでも、面倒な場にいるのも疲れるだけだ。」

蒼紫様は、無表情に淡々とそう答えた。

面倒な場。
そりゃ確かにそうだけど。
出るのが嫌だと、逃げ出したのも私だけど。
でも、蒼紫様と私の婚約披露の場をこうもはっきりと『面倒な場』と言われると、それはそれで落ち込む自分がいる。
あぁ、自分勝手にも程があるなと、自分で自分に呆れてしまうけれど。

「……そう。」

私が、目を伏せてそう返事をすると。

そんな私を見て、今度は蒼紫様が、
なんだか、不安げにこちらを見つめてきて。

そして。

「……疲れたか?」

恐る恐るといった風情で、そんなことを訊いてきた。

「…え?」

「増髪が、おまえが、一人にして欲しいと言っていると。」

「…あぁ、うん。」

「……疲れたか?

それとも、……何か、嫌な思いをしたか?」

蒼紫様は、何かを窺うように、探るように、そう訊いてきた。
その表情は、ほんの僅かだけど、まるで何かを怖がるような表情に見えて。

そう、例えば、
子供が大事なものをなくしてしまうかもしれないと、怯えるような。

「……蒼紫様、どうしたの?」

蒼紫様のそんな不安そうな顔を見ていられなくて、思わずそんな風に尋ねてしまった。
そうして、ゆっくりゆっくりと、蒼紫様に向かって手を伸ばす。

「…大丈夫?」

そっと、蒼紫様の胸元に触れて、
そう、訊いてみた。

すると、蒼紫様は、一瞬ビクッと、身体を震わせて。
そうして、なんともいえない切ない目で私を見つめてきた。

「……蒼紫様?」

蒼紫様は、暫く固まった後で。

おそるおそる、といった感じで、徐ろに私の方に手を伸ばしてきたかと思うと。

ほんの少し、躊躇ってから、
そっと、私の頬に触れた。



「……どうして、笑わない?」

「……、えっ、と…」

「結婚が、決まってから。
おまえは、笑わなくなった。」

「………!」

「そんなに、……俺と、結婚するのが、嫌か?」

蒼紫様の瞳が、泣き出しそうに切なく歪んだ。

「…ちが」

「こうして、俺に、……触れられるのも、嫌か?」

蒼紫様の瞳が、切なさと同じくらいに、何かを渇望するような色を宿す。

どうしよう。

……蒼紫様、どうしたの?
蒼紫様が、どうしてこんな事を言い出したのかわからなくて、困惑してしまう。

すると、蒼紫様は、その私の困った表情を見るやいなや、くっと奥歯を噛み締めるような素振りをした。

そして。

「……嫌だと言っても、もう、遅い。」

蒼紫様のその台詞が終わるか終わらないかのうちに、抵抗する間もなく、突然、蒼紫様に抱きすくめられていた。

「……っ、あお…」

「操」

「…痛…。」

「っ、操」

力一杯に抱きしめられて、蒼紫様の腕の中に閉じ込められる。
抱き締められたはずみで、肩にかかっていた蒼紫様の上衣が、バサリと音を立てて床に落ちていった。

突然の事に、びっくりして。

必死で蒼紫様の腕の中で身動いでみたけれど、私を力ずくで抱きしめた蒼紫様の腕はびくともしなかった。

抱きしめられた、腕が、熱い。

操、と呼んでくれた、その声が、泣きたくなるほどに優しくて、切ない。

どんなに頑張っても、絶対に私の力では振り解けないほどのすごい力で、蒼紫様は私を離そうとはしなかった。


『操。』
『今まで、操の目に映ってきた蒼紫は、どんな男であった?』
『操の瞳に映る蒼紫が、本物の、蒼紫じゃろうて。
それを、もう一度、ちゃんと見つめてみると良い。』


爺やの言葉が、頭の中を繰り返し繰り返し舞っていく。

こんなふうに、縋りつくように私を抱き締める蒼紫様なんて初めてだけど。


本物の、蒼紫様。
私の瞳に映る、本物の、蒼紫様は。

……そうだ。

蒼紫様は、いつもいつも、こうして、私の名前を呼んでくれた。
切なく、温かく、そして、優しい声で。

私が寂しい時、泣きたい時。

いつだって、私を温かく包んでくれた。守ってくれた。


蒼紫様にとっては、どんなにか、生き辛かったであろうこの場所でも。
いつも真っ直ぐに顔を上げて、
決して辛いことは表に出さずに、
凛として強く、誇り高く、生きてきた人だ。

そんな蒼紫様だから。

そんな蒼紫様だから、私は貴方を好きになった。

いつも、いつも、貴方と共にありたいと、思ったの。

どうして、思ったのだろう。
蒼紫様が、華族の名前を欲しがったのだ、なんて。

…そんなわけ、ない。

蒼紫様は、私の知ってる、私の大好きな蒼紫様は。

そんなずる賢い、筋道の通らない事なんて、決してしない誇り高い人、だ。

一週間前の、あの時の蒼紫様の言葉が、どういう意味だったのか、それはわからないけど。

でも、それは、もういい。

だって、蒼紫様は、私の蒼紫様だ。
優しく、気高く、そして、実はこんな風に寂しがりやの、私の大好きな蒼紫様。



「…蒼紫様…」

そっと、そう、声を掛けてみた。

「蒼紫様、離して?」

「嫌だ。」

即答でそう返されたと思ったら、またしてももっとすごい力で抱きすくめられた。

「離さない。
…離したら、逃げる、だろう?」

「逃げないよ。」

私も、すぐにそう返事をした。

「逃げないから。

蒼紫様の、顔が見たいの。」

私がそう言うと、蒼紫様は暫く考え込んだ後で、
ゆっくりゆっくりと、ほんの少しだけ、腕を弛めてくれた。
それでも、肩と腰に回っている手は、きつく私の身体を抱いたままで。
私は、蒼紫様が作ってくれた僅かな隙間に手をついて、そっと蒼紫様の顔を見つめた。

やっぱり。

そんな顔をしてると思った。

無表情なくせに、今にも泣き出しそうなそんな顔。
わかるんだから。

出逢った頃に、何度も見たその顔に、
この人が愛しいという気持ちが溢れ出てきて止まらなく、なる。

「蒼紫様」

「………」

「私ね。
小さな頃から、
…蒼紫様のお嫁さんになるのが、夢だった……。」

「……操」

「ほんとだよ?」

そう言って、微笑もうと、したら。

なんでかわからないけど、突然、目頭が熱くなって、目の端にじんわりと涙が浮かんできた。

瞬きした瞬間に、ポロポロとその涙が零れて落ちる。

「ずっと、ずっと。
…あ、蒼紫様、が、好き、だった。」

ポロポロと溢れる涙を必死で堪えて、つっかえつっかえ自分の想いを、何とか蒼紫様に告げた。
蒼紫様は、茫然としながら、黙ってそれを聞いてくれていたけど、でも、私を抱く手が、僅かに震えてるのがわかる。

「だ、からね、蒼紫様が、私を、お金で、か、買ったんだって知って、……すごく、すごく、…傷ついたの。」

「操…!
それは…っ、」

「うん、もう、いい。
…わかってる、から。」

蒼紫様が、何かを言おうとした唇をそっと人差し指で押さえて、その言葉を遮った。

もう、いいの。
……わかってるから。

蒼紫様は。

貴方は、私を、守ってくれようとしたんだ。

蒼紫様の唇に当てていた人差し指をそっとずらして、
その頬に触れた。
そうして、蒼紫様の切なくて熱い瞳に向かって、また、言葉を紡ぐ。

「……ここに、いるから。
蒼紫様の、傍に、ずっと。」

「…操…」

「ずっと、いるから。
だから、そんな顔、しないで?」

そう言って、それから、蒼紫様の胸に、コツン、と、自分の額を当てた。

「…ずっと、いていい?
…許して、くれる?」

伝わりますように。どうか。


「……操…」

蒼紫様の、声が、震えた。

そして、また。

一気に引き寄せられて、蒼紫様の腕の中に閉じ込められる。

「…操、……操」

「蒼紫様」

「愛してる」

蒼紫様が、低く、掠れた声で。

絞り出すように、そう言った。

「愛してる。操」

2度繰り返された言葉と共に、また、腕の力が強くなる。

息も出来ない位の、きつい抱擁に。

頭の奥の方がくらくらして、目眩がしそう。

剥き出しの肩に、蒼紫様の唇が触れる。

触れられたその場所が、火のように熱くて、もうどうにかなってしまいそうだった。

肩に押し付けられていた蒼紫様の唇が首筋を這って、私の耳元に、辿りつく。

蒼紫様の片方の手が、ぐっと私の腰を抱き込んだ。

それから、もう片方の手が、力任せに私の後頭部を抱え込んだ、と思ったら。

そのまま、思い切り引き寄せられて。

蒼紫様は、噛み付くように、私の唇を奪った。

角度を変えて、何度も、何度も。

息つく暇も与えられないような、口付けが降ってくる。

「……んっ…」

合わせた唇から、吐息と、それから、甘い声が漏れた。

恥ずかしさと、ドキドキと、それから、
むず痒いような浮遊感が、次々と、襲ってくる。

私は、ただその口付けに翻弄されるばかりで、蒼紫様の腕の中でまっすぐ立つことも出来なかったーー。









抑えきれない想いが込み上げてきて、
何度も何度も、操の唇を食い尽くすように口付けた。

嵐のようなその口付けを、名残惜しく離すと、
操が焦点の合わない瞳で、じっと俺を見つめていた。

紅潮した頬に、ほんのりと泪の跡が残った顔と、
大きく襟ぐりの開いたそのドレス姿が、
とんでもなく、扇情的で。

少し息を切らせて、俺にしがみつくようにして立っている。

……可愛い。

このまま、……このまま、全部。

俺のものにしてしまいたい。

でも、駄目だ。

これ以上は、駄目だ、と、頭の中で、警鐘が鳴る。

ただでさえ、操が他の男と結婚すると聞いて、頭に血が上ってなんの説明もなしに性急に事を進めて、
操を傷つけてしまったのだ。

……急いては、駄目だ。

せり上がってくる自分の欲を、何とか堪えて、

操から、目を逸らした。

これ以上、操にあんな目で見つめられたら、この情欲に負けてしまう。
抑えもきかず、きっと、無茶苦茶に、抱いてしまう。

「蒼紫様?」

目を背けた俺を、キョトンとした顔で、操がそう呼んだ。

……頼むから、
そんなに、無邪気に見つめないでくれ。

そっと、腕を外して、操を解放した。

それから、床に落ちていた自分の上衣を拾って、
もう一度、操の肩にかけてやる。

「蒼紫様?」

「着ていてくれ。」

「…え?うん。
でも、もう、寒くないよ?」

相変わらず、天真爛漫に笑って、操はそう言った。

……わかってない。
こういうところが、まだまだ子供だというのだ。

「……いいから、着ていろ。

祝言までは待たねば…と、思っているのに。
……覚悟が、ゆらぐ。」

堪らえるようにそう告げた俺の方をじっと見て、
操は、少し首を傾げながら、それでもにっこりと笑って、こくん、と頷いた。


広間で、初めて操のこの姿が見たときから。

細いが、体の線のしっかりした操だから、きっと似合うだろうと思って選んだ、このデコルテを身に付けて現れた操の姿を見た時から。

自分の中の、なけなしの理性を働かせるのにどれだけ苦労したか、なんて、きっと操には解らないのだろう。

すぐさまに操を部屋に戻したのは、勿論口さがない連中から操を守る為だったが。
それと同じ位に、これ以上操の姿を他の男の目に触れさせたくなくて、おまえに見惚れていた奴等から一刻も早く引き剥がしたかったからだなんて、きっと、気付きもしていないのだろうな。


小さな操は、大柄な俺の上衣をすっぽりと被って、まるでその中を泳ぐように、きゅっと上衣の前を引き寄せてその中に顔を埋めた。

そして、可愛いらしく、
ふふっ、と笑ったかと思うと。

「おっきいね。コレ。
蒼紫様の、匂いがする。」

そう言って、幸せそうに微笑んだ。



……頼むから。



「……煽るな、と、言っているのに。」

「…煽る?」

パチパチと瞬きしてそう尋ねてくる操を、直視できずに、もう一度、目を逸らす。

これは、どこまで、わからせるべきか。




俺は、大きく溜め息をついて、

もう一度、今度はゆっくりと、

操を自分の腕の中へと、引き寄せたーー。










〈了〉










【 後書き】


初めて、蒼操を書かせていただきました。

難しいですね。
蒼紫様。

でも、素敵な企画の末席に加えていただき、幸せでした。

ありがとうございました。